あったかブログ

2016/01/17 更新

阪神・淡路大震災から21年

阪神・淡路大震災21年:東日本にも思いよせ追悼・メモリアル

 
阪神・淡路大震災から二十一年の一月十七日、さまざまな催しが行われました。

○市民追悼のつどい

 

被災者ネット、福祉ネット、ボランティアグループ「すまいる」、県生健会、NPO法人Earthでつくる実行員会は、諏訪山ビーナステラスで地震発生の午前五時四十六分に黙禱するなどの「早朝追悼のつどい」を行いました。

また午前十時から神戸市勤労会館で「市民追悼のつどい」を開催、筑前琵琶と声明による音楽法要などを執り行いました。

挨拶で実行委員長の安田秋成さん(90)は、「国民の命と暮らしを守ることを第一とする国や自治体をつくるための一つのきっかけとして市民追悼のつどいは続けていく」と決意を語りました。

○復興県民会議メモリアル集会

阪神・淡路大震災救援・復興兵庫県民会議は、神戸市勤労会館で「メモリアル集会」を開き、三百人が参加しました。

代表委員の菊本義治さんが挨拶。岩田伸彦事務局長が二十一年を経ての課題などについて、借り上げ復興公営住宅の転居強要、災害援護資金の返済免除、支援法拡充の緊急性などを報告。「消費税一〇%になれば三千万円で住宅再建しても支援金三百万円が税金で消える」と訴えました。

ひょうご借り上げ住宅協議会の段野太一運営委員は、神戸市の議事録も示し、「行政は、そもそも二十年で退去と入居者に説明していなかった」と指摘。「継続入居へ最後までがんばる」と訴えました。

日本共産党の森本真神戸市議が新長田駅南の再開発のスライドを示しながら、シャッター街、過剰な店舗床など失敗の実態とともに、にぎわいをとりもどす住民の取り組みを紹介。県と神戸市が発表した行政機能の一部移転と庁舎ビル建設が苦肉の策であり「人、街、暮らしがもどってこそ復興」と語りました。

福島県浪江町の馬場有町長が「浪江町が受けた原発被害と現状」と題して記念講演。「私も原発推進論者でした」と反省を込めて語り、いまだに事故原因究明も検証もないこと、原発再稼働の動きを批判し、「原発はもういらない」と訴えました。いまだに町内全域、二万一千人全町民が避難指示によって福島県内外に避難、「戻りたい」(一七・八%)「戻らない」(四八%)という回答の町民アンケート結果も紹介。再生可能エネルギー活用など復興まちづくりの計画も紹介しました。

借り上げ住宅の継続入居、最低五百万円への引き上げなど被災者支援法の拡充などを訴えた集会アピールを採択しました。

○震災復興長田の会メモリアルウオーク

震災復興長田の会の呼びかけで開催された「長田メモリアルウオーク」には、百十五人が参加しました。

JR新長田駅南側の再開発地域を中心に、コースの要所ごとに震災当時の写真などを掲載した資料を手に、震災から二十一年目の長田区を歩きました。

ウオーク後、神戸平和と労働会館で開いた交流会では、被災者から当時の状況や今も続く苦しみが語られ、県や神戸市の復興施策が被災者無視で進められていることが訴えられました。

今年二十歳になるという震災後に生まれた青年は、震災のことを話でしか知らないので、自分の足で確かめたかったから参加したと語りました。宮城県からの参加者は、東日本大震災被災地の現状を報告するとともに、大災害を風化させない地元の取り組みを続けようと強調しました。

○1・17と3・11をつなぐ会

「市民追悼のつどい」に引き続いて、福島原発事故のために兵庫、大阪などに避難してきている被災者との交流会が開かれ、福島県だけでなく、茨城県、千葉県、東京都などからの避難者十家族がそれぞれの実情を話しました。

放射能から子どもたちを守ろうと避難したものの、とくに福島以外からの場合、原発被災者としてまわりに認めてもらえないなどの困難さや辛さを語り、このように話を聞いてもらえる場がほしいと訴えました。

(2016年1月24日付「兵庫民報」から転載)